いつもオチャラケの僕なんで、たまにはきちんとした自己紹介もしますね(笑)


ヨシザワ ユキヒロ
吉澤 行寛
コドモ塾代表 親子メンタルトレーナー

世界中のこどもたちと触れ合う中で、実体験から生み出した数々の
「こどもの心をつかみ、正しいメッセージを確実に届けるツボとコツ」
世の中にある成功法則を、この独自のコミュニケーションスキルを
通してこどもたちに伝え、才能を最大限に引き出すこどもトレーナー

常に実践現場型主義の考えから、あらゆる幼児教育の立場を経験し
どのこどもにも効果あるコミュニケーションスキルを大人達に教育する
コドモ塾を開講、日本全国、海外の受講生にも高い評価を得ている。



※音声再生にはメディアプレーヤー無料ダウンロードが必要です
ちなみに、過去の僕


昔っからこども好き♪


塾長からのアイサツ
&NG・ハプニング集


カンタンに僕のこれまでの経歴を知りたい方はこちらをどうぞ


普段の僕の様子をテレビ公開中!?


CoDoMo TV



笑いあり、涙ありで、なぜか大好評(笑)
こんな人生、オモシロすぎる!?

長いので、おヒマな時にどうぞ♪ [2005/3/7 更新しました]

1978/11/10 群馬のド田舎に、姉二人の末っ子長男として生まれる。
(そのド田舎が大好きになり、現在また戻ってきてます(笑))

こども時代 いっつも自分の心の中で“対話してる”、何だかとっても変わったコでした。

個性的な発想が強すぎて、周りに「出るクイ打たれ」たり、
周りのヒトを批判し、見下すようなところも多々あった腹黒い問題児(爆笑)
(しかし、なぜだか成績優秀、勉強嫌いで学校の宿題した経験一度もないのに)

小学校時代 周りの期待に応えようと、スポーツや習い事に専念し始めたのがこの頃。

2年生でスイミングから始まり、水彩画、剣道、野球、くもん、サッカーなどに
同時期(!?)に通っていた、異常なスケジュールの超多忙小学生でした(笑)

       
小学5年生(ピーク時)の夏休み一日のスケジュール
早朝 ラジオ体操  365日、休んだ記憶がありません。
 
「週末は部活のための日」、
 自由に過ごすことなんて “ありえない”

    家族や友達と遊んだって記憶も・・・
   ※お正月も元旦から部活や稽古、
   家族旅行の計画は僕のスケジュールの
   都合に合わせて決めてもらっていました。
7:00〜8:30 水泳部の練習
9:00〜12:00 サッカー部の練習
13:00〜16:00 地区野球の練習
18:00〜21:00 剣道の稽古
     しかも、どれ一つとして「自分が好きなことじゃない」 イヤイヤやっていたと言う記憶が、
     いまだ鮮明に残っています。(でも、周りがみんなこんなんだから当たり前かと思ってた)



   「 あっ、そういえばうち、テレビも禁止されてた時期があって、
     ゲームも買ってもらえなかったから、自分でコツコツ貯金してたな〜 」


※もっちろん、現在は両親の“この育て方”に心から感謝してます。
これらの経験から、ものすごくたくさんことを学び、自分で考え、答えを導き出し、
いろんな才能を、いっぱい引き出していただきましたから。 (ちょっとイヤミ(笑))


  なんせ、小学生から部活で厳しい上下関係で「社会の縮図」をリアルに学びましたから(笑)
  (9歳のコゾウが、10歳の悪ガキの言いなりになってペコペコするんですよ、想像できる?)


中学校時代 カル〜い気持ちで所属した剣道部が、県でトップクラスの有名強豪中学
3年間、おもいっきり部活一色に染まりましたね。  (またまたイヤイヤだけど)

関東大会まで出場し、3年の時は選抜チームの
代表メンバーとして日本武道館で試合しました。
(そりゃー、そこまでいけば嬉しいけどさ。剣道はあんまりモテないんだもん・・・(笑))

しかもまたまた成績優秀(???)、「文武両道」が剣道部顧問の命令でしたから(泣)
部活があまりにも厳しすぎて、勉強する時間いっさいなし。でも成績は常に10位以内。
(命令絶対、軍隊のような厳しさでしたから、人間死ぬ気になれば何でもできる(失笑))


忙しくて、恋愛してる余裕なんてない、っと思いきや、
異常なほどの「繊細さ」と姉に鍛えられた「女性慣れした考え方でなぜかモテまくり(?)
※僕の人生(特に恋愛関係は)のピークはこの時期だと思います、マジで(爆笑)


しかし、表の世界での活躍と平行して、自分を含め友人知人の
「いじめ、非行、万引き、薬物」などの問題におもいっきり関わり、
“成績いいのに不良生徒とも平気でいっしょに遊んでる、唯一の存在”でした。
(だって、ワルぶってる友達のほうが、全然いいヤツ多かったんだもん)

ケンカの強いコ、街でも有名なワルのコに“一目置かれる”気持ちよさと同時に、
一緒にいるだけで“腐ったミカンの仲間”としてみる、大人のくだらない偏見も知りました。
(「あっ、この人たち、表面しか見えないんだ〜」って、ある意味新鮮な気づきでしたね)


高校時代
(前半)
偏差値教育最後の年代、学歴社会に対する憎しみのかたまりでした(笑)
この頃、好きな歌手は「尾崎豊」(あははは、そのまんまじゃん!)

県ベスト3に入る進学校に入学(おもいっきり親の希望)するも、
入学オリエンテーション(入学式前日)のクラス発表で、クラスメートたちの
早くも全開な、異様に殺気立った「大学絶対現役合格」オーラを肌で感じてしまい、
その日の帰りに母に「おれ、高校辞めるか、頭おかしくなるかも」と宣言してしまう(笑)


まったくついていけない高度な授業、チンプンカンプンで退屈な教師の話、
なんとか探し出した「そんな異世界でも、わりと気の合う仲間たち」と共に、
人生初の“ダメ生徒”街道を、まっしぐらに進もうぜ〜・・・

っと思いきや、1学期の定期試験でまたもや僕だけ高得点(???)

とたんに、昨日まで仲間だと思ってたヤツラの冷たい視線。


「な〜んだ、なんだかんだいってユキも影でお勉強してるんじゃん」





                 ブチッ






何かが切れた。大きな何かが、ハッキリと音を立てて。

なぜだかわからいけど、カタく決意 「もう二度と、“あっちの世界”には行かない」

それから、いっさいの勉強を辞めた。授業もまったく受けなくなった。
表面だけ心配したフリをする担任の目も、まったく気にならなかった。





     何かが違う    ここでレールに乗ったら、二度と引き返せなくなる



    俺には、みんなが見えてない、本当に大切なものが見えてる気がする

    でも、このままこいつらと一緒にいたら、同じように見えなくなってしまう





心機一転、ずっと憧れていたバスケ部入部、
(初めて自分のやりたい種目を選べた)
中学時代から大好きだったバスケに、シロウトながらもガムシャラ夢中になった。


初心者だから、誰よりも練習した。
身長は165センチ、部内で一番チビだった。

くやしいから筋トレの時は、同級生(なのに校内一の長身)の
198センチのヤツを毎回肩車してスクワットした。

(ちなみに、交代するとそいつが一番楽チン(爆笑))




進学校にも関わらず、またもやその高校は県下トップクラスの強豪チーム。
県内じゅうの中学からスポーツ推薦で、スゴイやつらばっかり集まってきてた。

(なんで僕の人生、いっつもこんなんだろう?)




でも、根性だけは負ける気しなかった。





    「なんせこっちは軍隊出身(笑)、バスケなんてカッコいいスポーツで
     3年間きゃーきゃー言われてたようなヤツらとは気合がちがうぜ!!」





案の定、誰も僕のハードな練習にはついてこれなかった。


だからガンガン腕を上げた。
いろんなスポーツやってたからセンスもよかったかも知れない。




    なによりも、生まれて初めて、


      
自分が本当にしたいことを、自分で選ぶことができた喜び


                  でどんなキツイ練習も楽しくてしょうがなかった。








            
ちなみに、その頃の食事スケジュール(笑)
自宅で朝食 ※パンとカップラーメンは、その時の
所持金(おこづかい)によって決まる。


こんだけ食っても、やっぱり一番チビ(笑)
登校途中 駅で立ち食いそば
学校到着 早弁(母の手作り)
2時間目休み 学食でパンを食べる
昼休み 学校を抜け出しラーメン屋
部活終了後 学校近くの駄菓子屋でカップラーメン
下校途中 駅で立ち食いうどん
帰宅 自宅で夕飯



身長が低いのを逆に武器にしようと、体力、スピード、遠距離シュートをとにかく鍛えた。

おかげで、3ポイントシュートがよく入るようになった。(かなり気持ちがいい)
部内の練習試合の時には、先輩も押しのけて最得点をあげたこともあった。



しかし、またもや“大人の偏見”という厚い壁。

監督は、中学からスカウトしてきた「有名選手たち」しか見てなかった。
僕は練習にすら参加させてもらえなかった。

「初心者軍団、サイドでドリブルと声出し!」練習前のお決まりの命令だった。



       
ダムダムダムダムダムダムダムダム
       ダムダムダムダムダムダムダムダム
      ※ドリブル練習の音
       
ダムダムダムダムダムダムダムダム
       ダムダムダムダムダムダムダムダム




屈辱? いや、理解不可能だった。

チームメイトや先輩は認めてくれてた。
認めざる終えないほどの練習量をまざまざと見せつけてたから。

たしかにシロウト、でも練習さえすればいくらでも「化ける」自信があった。



それなのに・・・



しかも、同じぐらいの初心者でも、監督に好かれようとする
調子のいいヤツラは、だんだんと練習にも参加していった。


ウソみたいな、テレビの中の出来事のようなことが
現実に目の前で起こっていった、何度も何度も何度も



「なんでこんなくだらない判断しかできないヤツに媚を売らなくちゃいけないんだ?」



本当に大人がわからなくなって、大好きなバスケだけど退部を決意した。

※今思うと、かなり被害妄想的な部分もあると思います、もちろん。
こどもってそんなもんです、傷つきたくないから自分を正当化します。





大人がわからなかった。

大人が憎らしかった。


何かが違う、大人が正しいわけじゃない。


まるで大人の言う通りに進めば進むほど、
間違った世界に染められていってしまいそうな気がした。

とにかく恐かった、逃げ出したかった、答えを見つけたかった。


高校という新しい場所で、同世代からも大人からも裏切られ、
行き先を見失った僕が戻っていったのが、中学時代の仲間だった。


偏差値の低い高校に進学していったヤツら、
すでに高校中退して働いてるヤツら、高校すら行かなかったヤツら

そんなみんなが、理由も聞かずに言ってくれたのが



                「おかえり」の一言だった。



※実話です。カッコいいですよね、あいつら(笑)


高校時代
(後半)
それからの僕は、やりたい放題だった。
っというより、「答えを探す旅」って感じだろうか?


バイトにハマった、めちゃめちゃ働いた。楽しかった。

がんばった分だけキチンと評価される「お給料」
高校生なのに稼ぎすぎて所得税とられてた(笑)

常に口座には100万円の貯金があった。
でも、いっさいムダに使おうとは思わなかった。


「大人に、社会に認めてもらえる」 それだけで快感だった。



バイクにもハマった。めちゃめちゃ楽しかった。

そのうち、バイク好き仲間の輪ができた。
最っ高に楽しかった、みんな大好きなことを目を輝かせて語った。

こんな仲間とシゴトをしたい。
こんな仲間となら、大人になっても悪くない。



でも、世間の目はどんどん厳しくなっていった。

僕のせいでみんなが「進学校の生徒をたぶらかす不良」なんて
レッテルを貼られるのがどうしても耐えらんなかった。


だから、「完全に“こっち側”に来よう」と決意を新たにした。


学校もよく抜け出すようになった。

夜はいっつもバイクで走りにいった。

悪いこともいっぱいした、たくさんのヒトに迷惑をかけた。


でも、僕らの中ではきっちりと線を引いていた、つもりだった。

ヒトを傷つけない、クスリなどには手を出さない、女性に乱暴はしない


それでも、やっぱり大人の目には「同じ」に映ってた。
いっぱい疑われた、いろんなことを僕らのせいにされた。


疑われれば疑われるほど、大人に対する憎しみは増し、
わざと「疑われたとおり」に悪いことをしてみたりもした。腹いせに。



         みんな、べつに好きでやってるんじゃない

        やんなきゃいけない状況になっちゃってるだけ



悪いことってのはわかってる、僕らだって迷惑はかけたくない。
でも、
それをどうしてもやらなくちゃならない“心の理由”がある


家出もした、家族すら信じられなくなった。
いろんな経験をし、たくさん傷つき、それでも失いたくないものがあった。




         正しいことって、べつに大人が決めることじゃない


     こどものほうが、真実に、本質に気づけることだってきっとあるはず




どうしても証明したかった。僕らの心は間違っちゃいないことを。

大人がかならず間違いだとは言わない、そんなのわかってる。
ただ、それと同じくらい、大人もこどもを認めて欲しい。視野に入れて欲しい。



家族とのわだかまりも多少うすれてきた高校2年の冬、
父が何気ない素振りで、僕にこう言った。


 「おまえ、そんなことばっかりやってるくらいなら、海外でも行ってこい」






                    見えた!






すべての答えが、“そこ”にある、きっと!!


すぐに留学を決意した。


「ただし、高校は卒業しろ。絶対に、おまえのためだ。」


※これは本当に助かりました。もうちょっとで最終学歴「中卒」になるとこだったから。
社会に出てからその“大きな差”を体感し、本当に父のアドバイスに感謝しています。






あと1年以上ある、全部自分でできる!!

無我夢中で情報を集め、自分で留学先の学校、ビザ、全部そろえた。
バイトも新しく始めた、ガソリンスタンドで休みなく働き資金をそろえた。

※結果的には、ほとんど家族に援助していただきましたけどね。
準備資金はなんとか全部自分でまかなえたのは嬉しかったな。




    
何のための留学?         「“答え”を見つけるため」

    何の答え?          「自分がこの世に存在している理由」



※フツーに進学してたら、みんなこんな大切なこと一生考えないんでしょうかね?



行き先は、直感で即決、オーストラリアに決めた。

理由:広い大地に憧れて(笑)
(相当「自由になりたい、解き放たれたい」って願望が強かったんでしょうね)


英語? できるできないどころの話じゃない。

※高校最後の定期試験じゃ、「卒業できなきゃ留学できない!」って
死に物狂いで頑張ったにもかかわらず、唯一英語で赤点とって落第決定!?
なんとか追試で挽回して、ホントにぎりっぎり首の皮一枚で卒業できました(笑)


でも、英語が理由じゃないから不安なんていっさいない。
それに、高校時代は赤点でも、中学までは成績優秀!!


 「きっとどうにかなる、バラ色の生活が待ってるハズ!!」


なんて甘い、甘すぎる考えで、成田空港を後にした18の4月・・・



留学時代
(前半)
行き先は西オーストラリア、パース。

理由:日本人留学生が一番少ないから(海外まで行ってつるみたくない(笑))
    世界一の快晴率!! (これはたまらない!僕が空が大好きな理由)

初めての一人旅、しかも飛行機、しかもシンガポール経由(安いから)
不安[0.1]期待と興奮[9.9](笑)で向かったオーストラリア留学だった

が・・・


なんとか無事にシンガポール空港での乗り換えは終わった。
後は黙ってても、勝手に新天地のパース空港まで運んでくれる。

空港には、到着予定時間にホームステイ先の家族に迎えを頼んである。


    余裕だ!!なんて楽勝なんだ、留学って!!!


ってタカをくくってた、のだが・・・




空港到着後、飛行機を降り、同乗だった乗客員の波についていく。

「これなら迷子になりようがない、一気に外までついて行こう♪」


がしかし、世の中そんなに甘くない(笑)


税関に到着、パスポートのチェックと荷物の点検。

ここで初めて、事の重大さに気づいた。



    「あ、言葉通じない・・・」     (遅っ!)


通じないってレベルじゃない!?何語ってどころの話じゃない!?


      「・・・宇宙人?」


まさか、こんなにも話が理解できない会話があるなんて?
まさか、こんなにも聞いたことのない音を発する地球人がいるなんて?


(・・・やばい、シャレにならん。とりあえず・・・)



    スマイル 「にこっ」      (これは世界共通のはず)



   ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ
   ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ



(ぬおっ、話すスピードが早くなりやがった!?)


※どうやらこの時「英語で大丈夫?」って聞かれてたらしい




(どうする、どうする、どうにもならん!?)



すると、不振に思ったその外国人が、少しゆっくりめにこう言った。


「 ♂〇¥△×〜 speak English? 」


(よっしゃ〜、今度はわかったぞ!英語話せるかってことだ!)


嬉しかった、興奮した、こんな感情は初めてだった。
「言葉が理解できて嬉しい」なんて、赤ちゃんにしかわからない快感(笑)


そして、今度は僕が応える番

  「 ィ、イエス! リトル 」



   ペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラペラ
   ペラペラペラペラペラペラペラペラペラ
   ペラペラペラペラペラペラ          ペラペラペラペラペラペラペラペ




    ( ち が 〜 う っ ! こんな時に見栄をはってどうするぅ〜っ!!!)



しかも僕が乗って来たのは最終便、(安かったから)
その時すでに深夜1時過ぎ、あやしいアジア人が一人、
大きな荷物を抱えて、うっすら笑みを浮かべながら・・・




            余計にメチャメチャあやしいっ!!!


※日本人留学生、観光客が少ないので、日本人が本当にめずらしかったようです。
(1997年当時の話です、今はもっと日本人客も増えてますから大丈夫です、きっと)



結局、スタッフ二人係で空港奥の特別広場(?)に連れてかれ、
目の前でスーツケース全部開けられ、隅々まで容赦なくチェック。
(たしか、犬も近くにいたような・・・)

しまいには、唯一きばって持っていった、おしゃれな皮靴の底の部分
(削れたので修正した後があった)を指差し、何やら尋問されてる僕。。。


そして、僕ができる“反応”といったら唯一


                 「 に こ っ 」



(・・・だいじょうぶか?あいかわらずチャレンジャーなオレ???)


体格のいい女性が、その靴を持ってさらに奥の方へ消えていった。


そして数十分後に、戻ってきたその手にある僕の革靴は・・・





          (あああぁぁぁ〜、穴あいとるやん〜!!!)






※どうやら修正部分に“何か”を隠して密輸する疑いがあったので
ドリルで底の部分に穴を開けて、チェックしてきたみたいなんです。




そんなことするなら、やる前に言ってよ〜〜!!!


(・・・言いました、きっと。向こうは僕に確認、承諾を取りました、たぶん)



そんなこんなで、結局2時間も空港内で拘束され、
ヘロヘロになって入国ゲートを出た僕の前には、



     
その2時間、ひたすら待ち続けてくれていたホームステイ先のママの
    あたたかい笑顔と「WELCOME YUKIHIRO」のサインがあったのでした




後半に続く     (ってまだ初日ぢゃんっ!)


   この【留学時代】の続きは、現在作成・編集中です。
   いつの日か、あなたにも胸をはって紹介できる日が来ますように・・・


   ※なんたって僕自身が英語ペラペラになった、だけでなく、僕が現役キッズ英会話講師時代に
   生徒たち(もちろん日本人)に実践し、たくさんの素晴らしい成果を上げた生のノウハウですから



 っというわけで、オーストラリア留学の一年間を一気に飛ばして【帰国後】から続きをどうぞ♪

【帰国後】

独学時代
(前半)
生まれ変わったような新鮮な感覚と新たな決意、
そして“あの約束”を胸に、ついに僕は1年ぶりの日本に戻ってきた。
※詳しくは【留学時代】にあります

成田空港へ迎えに来てくれた家族を見つけた時、
僕の心に浮かんできたのはただただ「感謝」の想い、それだけだった。



ハッキリいって、帰国時の記憶はほとんどない。

長時間のフライトと多少の時差ボケに加え、あふれんばかりの感激に
頭も体も心もついていけず、しばらく軽いパニックになっていたんだと思う。


それよりなにより驚いたのは、「人」


  「 うわっ、なんだこの異様な風景は!?


             なんでこんなに日本人がいるんだろう??


        なんでこんなに人がいるのに、みんな日本人なんだろう??? 」



※笑っちゃうようにも、そして多少イヤミにも聞こえますが(笑)、
本当に日本は「人種のほとんど混ざらない、変わった国」なんです。





この違和感は、数日間(数週間?)しばらく続いた。

だからこそ、その間いろんな気づきを得ることができた。

ほとんどの日本人は、同じ文化を持つ日本人同士としか付き合いがない。
相手の文化や背景も同じなら、言葉にしなくても「なんとなく」で分かり合えることも多い。

  だからこそ、思いやりを大切にする
  だからこそ、信頼をし、いちいち言葉で表現しない
  だからこそ、「あいまい表現の美学」が通用する
  だからこそ、疑うことをせず、危険に対する意識が弱い
  だからこそ、「異なるもの」を受け入れるのが苦手
  だからこそ、はっきりと意見を言うことを嫌う
  だからこそ、周囲のみんなの目が気になる
  だからこそ、以心伝心が使える

※これは欧米人にとってはまったく理解不能、まるで超能力(笑)
「東洋人は神秘的・アジア人は第六感が鋭い」と言われる理由です。



こういった日本人独特の心理の特徴を、身を持って実感することで
今まで気づかなかったたくさんのコミュニケーションのコツを発見することができた。

と同時に
「人と違う」ってことが“個性”なだけで、決して悪いことではないという事実が
改めて腑に落ち、違う=個性の強い人との付き合い方がどんどん得意になっていった。

※というより
個性のせいで周囲に理解されず、苦しんでる人の気持ちがわかるって感じ?



留学していた間に、日本は大きく変わっていた。
いや、正確にいうと「僕にとっての日常」という意味の日本が。

高校を卒業する時、僕は自分のことで精一杯で、
“まわりのみんなが一体これからどこへ行くのか”いっさい考えもしなかった。


ふと気がつくと、

         「 あれ? 友達がどこにいるのか、わからない・・・ 」(笑)



これが意外とよかったのかもしれない。

「遊びたいさかりの19歳」でありながら、遊ぶという発想が思い浮かばなかった。



                  夢に集中できた



真剣に今後の身の振り方を考えることができた、真正面から、逃げずに。

誰も茶化す人間はいない。
心には“あの約束”と「日本の教育を、僕が変えよう」という高く純粋な志。


※こういった想いを持てるだけでも相当環境に恵まれていたと思います。
ほとんどの方が実は
夢を持つ、真剣に考えることを許されない環境で生活してるんです。



決して大学にいけるような「頭のよさ」を手に入れたわけではない。

それどころか、あまりにも徹底した英語づけの生活が一年も続いたため、
漢字をほとんど忘れてしまって、新聞すらまともに読めなくなっていた(笑)


※書く字がよけいに汚くなったのも、このせい
・・・っと、カッコよく言い訳をするようにしてます。 (本当はもともと汚いんです(笑))



しかし、不可能なんて何もないと思えた。
本気で日本の教育を根底からひっくり返せると思えた。




             「だって、オレは英語をマスターできた!」




この事実は、すべてにおいてとんでもない自信を僕に与え続けてくれている、今でも。


向こうで知り合った、どんな日本人大学生よりも英語がしゃべれた。
たとえ英文科を出てようが、ちいさい頃から英会話を学んでようが、
ヘタすれば海外で幼児期を過ごした帰国子女であろうが、僕の方が流暢にしゃべれた。


※なぜなら、
英語ができる英語で“話が”できるはまったく違うからです。
(だって、日本人が全員日本語で“上手に話ができる”って訳じゃないでしょ?)





                 できないことは何もない




この想いがあって初めて、「では、それでもあえてするとしたら?」と
なんの制約も感じることなく、自由意志で選択できることも実感できた。


※そう、ここなんです!
人は本来自由に何でも選択できるんです。
ただ、自分自身の心が「自由に選択すること」を許可できてないだけで。



ここで生まれてはじめて、「自分が好きなことを職業にするとしたら」という
まったく考えたこともない基準で、自分の今後について真剣に検討してみた。


いちばんはじめに頭に浮かんだもの、それが



                      こ ど も    だった。




なぜだろう? まったく理由がわからない。

以前からこどもが好きだった、たしかに。
でも、関わった経験がない。近くにこどもがいたわけでもない。

自分自身がこどもだった時以外に「こども」に関して思い浮かぶイメージがない。


ひょっとしたら、自暴自棄になっていた高校時代に強く思った
「大人になんかなりたくない」という感情が、こどもに意識を向かせたのか・・・



わからない、なぜ、いつ頃から、何がきっかけでこどもが好きになったのか


ばくぜんと「でも、こどもが好き」だった。



いくら考えても、こどもと触れ合った経験がいっさいない。




                     日本では



(・・・ん? 「日本では」?)






                  あっ、そういえば!?



             ホ ワ ホ ワ ホ ワ ワ ァ 〜 ン    (思い出してる音)


回想シーン1 「ちびっこギャングとの出会い」
(前編)


オーストラリア留学も後半に入り、できる限り多くの経験をしたいと思った僕は
3つ目のホームステイ先を出て、現地の一般オーストラリア人の家でシェアを始めた。


※ここでいう「シェア」とはシェアハウスの意味(アメリカ英語でいうルームメイト)で、
ホームステイのように“お世話になる”のではなく、対等の立場で家賃をワリカンする
オーストラリアでもっとも一般的な、人気のある共同生活スタイルのことです。


ちなみに、僕は留学時の1年間でホームステイで3ファミリーにお世話になったほか、
■外国人留学生同士(中国人、インドネシア人、韓国人と僕)で海のそばの一軒家を
まるごとレンタルし、半年間共同生活、しかもなぜか家事はすべて僕が担当(笑)して
毎日みんなの食事を作ったり、買い物をしたり、掃除洗濯をしたり、の変わった経験や
(しかも段々イソウロウが増え、最高で8人分の食事を毎日作ってた、筋金入りの主夫)
■向こうで交際を始めた7つ年上の彼女と、3ヶ月近くアパートで同棲生活(照)したり
■安宿を泊まり歩いたり
と、ありとあらゆるスタイルの生活をおもいっきり体験しました。
ここでは到底語りきれない、人生経験の豊富さについては、またいつかどこかで(笑)





(っと、話を戻して・・・)


郊外の静かな住宅街にあるそのシェアハウスの近所には、日本人はおろか
他の海外留学生もほとんど訪れないような、本当に現地の人のみの町だった。

まるで、自分もオージー(オーストラリア人の愛称)になったような気分になれ、
文字通り「周囲に溶け込んだ」静かで穏やかな生活をゆうゆうと送る、平和な毎日




の、はずだった   がっ!?


※僕の人生は、どうやら一秒たりとも平坦には進まないようです(笑)



たまたますぐ隣に住んでいた、ちびっこ兄妹。
このガキンチョ、いやいや、おこちゃまたちがものすっごいいたずらギャングだった!!!


・・・なんて、かわいい言葉で説明しても、
きっとあなたにはそのすごさの1/100も伝わらないだろう。





          とにかく、ハンパじゃない!?




はじめて出会ったのは、たしか僕が引っ越しの荷物を運んできた日だったと思う。

こないだまで補助輪をつけてたようなちっこい自転車を、まるでバイクのように飾りつけ
器用にブレーキを操って後輪をガガガガァ〜っとドリフトさせながら、その小僧は現れた。

   
「 YO! 」         (ってホントに言ったかどうか忘れたけど、こんな感じ)


 
ちびっこギャング兄(仮に名前をジョー):「 なに、ニーチャン? ここにすむん? 」

 僕:「 ・・・う、うん。 そうだよ。 」

 ジョー:「 ウソ、マジ!? いいじゃん、それっ! 」

 僕:「 ・・・う、うん。 ありがと。 」

 ジョー:「 オレね、オレね、ジョーっつーの! となりすんでんの! いいっしょ! 」

 僕:「 ・・・あ、うん。 よろしく。 」

 ジョー:「 ねーねー、あのさっ、ねー、いつからくるん? きょー? きょーから?? 」
 ちびっこギャング妹(仮に名前をリンダ):「 ねーねー、あんちゃん! 」

 ジョー:「 ねー、ニーチャンさー! 」
 リンダ:「 ねーねー、あたいもっ!ねー!! 」

 ジョー:「 あ゛ー、まじうっせー! あっ、コイツ、いもーとのリンダ。
       で? ニーチャン、いつくるん? ずっといるん? ここすむん? 」
 リンダ:「 あんちゃんっ! ずるい! あたいもっ!! 」



 ジョー:「
 あ゛あ゛ぁ〜 まじ 『ピーーーーーーー』っつうの!

      おめー『ピーー』な『ピーーー』なんだから『ピーーーーー』ろよっ!!
 



※ここでの『ピー』とは、おもにFなどから始まる放送禁止用語です。
(欧米では、このような言葉をこどもの前で使うのはタブーになってます)




              
唖   然


このショックが、はたしてどれだけの人に伝わるだろうか?

目の前の、まだ小学校にも上がらないほどの年頃のちびっこが
大人でも目を背け、耳を疑うような乱暴な言葉で妹を罵っているのである。


しかも、それが当たり前の日常のように・・・



「やばい、イヤ〜な予感がする。。。」

※僕のこういった時の予感は、大抵当たります(笑)




結果は想像以上だった。


二人は、ちょくちょく僕の引越し先に遊びに来るようになった。

いや、ちょくちょくどころか、毎日、何度も。


来るだけならまったくかまわない、僕だってこどもと遊んでみたい。
が、この二人にとっての“遊ぶ”とは、僕の常識をはるかに超えていた!!


まず、家はおろか、部屋までも勝手に土足でズカズカ入る。
そして、バッグを荒らす。ゴミ箱を探る。衣類を引っ張り出す。

パンツを盗んで、大喜び! 「やったー!みっけたぞーー!!!」(爆笑)


(・・・いやいや、聞いてるだけのあなたには面白いかもしれないけど)




ようは、いたずらが彼らの最高の楽しみなのだ。
大人に嫌がらせをする、からかう、怒らせる、それが快感なのだ。


彼らの「大人の神経を逆なでするスキル」は、まさに天才的だった。

ありとあらゆる手段を使い、時には大人の心理の裏をかき、
スキをついてはいたずらをした。 毎日毎日毎日毎日・・・・・。




        なんなんだ、こいつら? なんでこんなことするんだ??

              なにがそんなに楽しいんだ???



一緒に生活するルームメイトは、すっかりあきらめて部屋に鍵をかけるようにしてた。



      っていうか、こいつら明らかに僕をターゲットにしてるじゃんっ!






しかも、その家のオーナーが兄妹の母親と仲がいいからなおさらたちが悪い。
いくら玄関に鍵かけても、オーナーは親戚のこどものように平気で家の中に通す。


       (あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ〜、だめだよ入れちゃぁ〜)




 
オーナー:「 オゥ、小僧ども! 今日も絶好調か? 」  (このおっさんも、こんな感じ)

 
小僧ども:「 うんっ! おじさん、ゼッコーチョーだよっ! 」
        「 あたいもっ、ゼッチョーチョーっ!! 」




          (あれ、やけに素直じゃん?)



 
オーナー:「 じゃ、おれはこれから飲みに行ってくるから、
         小僧ども、ウチん中で悪さすんじゃねえぞ。 」

 小僧ども:「 うんっ! そんなんしないよっ! 」
        「 あたいもっ、しないよっ!! 」


 オーナー:「 おし、じゃ、ユキ。 あとはヨロシクな! 」

 僕:「 あっ、はい。 いってらっしゃい・・・。 」





               バ タ ン ッ       (玄関のドアが閉じる)




 
小僧ども:(こっちを振り返り)  「 ・ ・ ・ にやり 」




   (
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ〜、や゛っは゛り゛演技か゛よ゛お゛ぉぉ〜





そして、ふたたび家中大騒ぎ。。。





こんな毎日が続いた。 しょうこりもなく、ホントに毎日。

こんな毎日を過ごすうちに「こどもと付き合った経験がない」なんて言ってられなくなった。

おおげさではなく、本当に自分の生活を守るため、
僕は彼らとの“付き合い方”を体で覚えていった。



これまでに「こどもをあまり見たことがない」という経験が、逆によかったのかもしれない。

なんの思い込みもなく、目の前の彼らを観察した。


 
「なんでわざわざこんなことをするんだろう?」

 「このエネルギーはどこからくるんだろう??」

 「なんで僕をターゲットにするんだろう???」



ただでさえチビッコな上、金髪オーストラリア人のこどもだ。
はっきりいって「見た目はメチャメチャかわいい」


(・・・まさに小悪魔)



※この経験も、今となっては貴重だったと思います。
おかげで見た目や表面上の態度ではいっさい判断せず、
こどもの心をのぞく術を身につけることができましたから。





段々と彼らをコントロールするコツを覚えてきた。
それと同時に、僕以外のルームメイトがどんな対応をした時に
彼らがどんな反応をするかも、冷静に観察することができた。


  「あ、それじゃあナメられるよ〜」

  「あ〜ぁ、そこでそれやったら調子に乗るだけじゃん」



いろんなことが見えてきた。
みんなが一見気がついてないような、こどもたちのビミョーな心の動きが。




また、ある時オーナーに彼らの家庭環境についても聞いてみた。

ジョー6歳(来年小学生)、リンダ4歳、母親が女手一つで育てているらしい
父親は、リンダが生まれた頃に家を出ていったきり。母親は酒場で夜のシゴトをしながら
生計を立てており、昼間は二日酔いで寝てるか、彼氏の家に遊びにいってていないらしい






               「あっ、だからか・・・」





家庭環境を聞いた瞬間に、今まで分析してきた彼らの行動の理由、
心理がどんどん明確になっていった。すべてがつながっていくように。




   さびしかったんだ、父親に会いたかったんだ、かまって欲しかったんだ




彼らの心の理由に気づくと同時に、彼らの心の中に自分でも制御できない部分、
「どうしても“いま、それをやらなければならない”という強い衝動」が生まれること
があることにも気づくことができた。





          「 あっ  あの頃の、僕と、おんなじ・・・ 」






 不器用なんだ、素直になれないんだ、頭じゃわかっていても、体が逆に動くんだ



ものすごくよくわかった、彼らの気持ち、というより、僕自身も体験したその心理を。



急に親近感を感じるようになった。

決して育った家庭環境が似ているわけじゃない。

僕は、恵まれた環境に自ら背を向けた
彼らは、選ぶ余地もなくさみしい思いを強いられてる




ただ、僕が彼らの心を理解したことで、心の親近感が近づいた気がした。
そして、彼らもそれに明らかに気づいている様子だった。

※こどもって、ホントに不思議ですよね。
大人の心理、すべてお見通しなんですから。





少しずつ、僕らの関係に変化が起こり始めた。


かといって、すぐに同情したり愛情いっぱいに包み込んであげれるほど、
僕は素直でも、器の広い大人でもないっ!(笑)


じゃあ、なにが変わったか?



          容赦しなくなった




お互いに、対等に、同じ心を持った人間同士として、
大人とこどもでもなく、目上と目下の関係でもなく、

心と心、感情と感情のぶつかり合いを、平気でするようになった。


お互いに大声で怒鳴り散らした。  たまには殴り合いもした。

※もちろん、ボコボコとかじゃないよ。パコパコって感じです、お互いに。
それにこれは過去の話で、今は当然絶対しないのもわかりますよね?




ジョーは“男の急所”をよく狙った(笑)
だから、「正々堂々といけ」とケリを教えた。

※いや、過去の話ですよ・・・



リンダは、よく噛みついてきた。
だから、「反則は卑怯だ」と教え、おしりペンペンをした。

※いや、だから、先生になる前の、ずっと前の話ですから・・・

(あんまりバカ正直すぎるのも、よくないかも???)




以前より騒がしくなった、以前よりもっともっとわんぱくになった。





       
そして、僕らはよく笑うようになった。




一日中、家中走り回って、おっかけっこして、怒鳴り散らして

夕方になると、疲れきって、3人でソファーでくっつき合って眠った。




ジョーを捕まえて、叱りつけてると、かならずリンダが後ろから来て
「あんちゃんをはなせぇ〜!」っと噛みついてきた。

(・・・まじで痛い)


すぐにとっ捕まえて、足を持って逆さづりにした。

なぜかものすごい笑顔のリンダがそこにいた。


しかたがないから、そのまま肩車してやった。


何だか僕も恥ずかしくて「リンダ、ジャマなんだよ〜!」なんて言いながら
一緒になってジョーを追いかけたりもした。



わからない、なんでこんな関係になったのか。
でも、楽しかった。ソファーが僕らのお決まりの休憩所になった。

ぎゅって寄りそって、クスクス笑いあい、コチョコチョくすぐりあい、
体力が戻ったら、また家中走り回って大騒ぎ。




時々、僕は当時交際中の彼女をその家に招いた。


ジョーはHなことを言っては、僕らを茶化して喜んだ。

リンダは・・・ なぜか、いっつもプンっとすねていた。



(そして、また噛みつかれた)




                  
「 イ゛ッテ゛ェーーーー!!! (涙) 」



後編、続きはこちら


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